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比較的タイムリーな話題をじっくり取り上げる「長考型」ブログです。
スポーツは自由民主主義の産物であり、サラブレッドの血統は歴史的建築物に等しい文化遺産である、という考え方に基づいて執筆しております。
まれに勘違いをしている読者がいて困惑するのですが、これはただの一般市民のブログです。プロの物書きでもないので、自由に気楽に、あくまで趣味の範疇で書いております。サッカーについて書くのは、賃金を得ない門外漢の一般素人ファンでもこのレベルの文章は書けるという実践を通して、スポーツ紙記者等へのアンチテーゼとなるかと考えて当初より継続しております。
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2011.10.02 Sunday

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カノヤザクラはそこまでの馬だったのか

2010.07.19 Monday 10:35
先日、新潟の重賞でカノヤザクラという牝馬がレース中の事故でこの世を去りました。
この悲劇に対する競馬ファンの反応が独特なもので、議論にならないという事態になり、あらためて再度考察を加えたものです。

まずこの一件が発生したときにツイッターで私がチェックしているアカウントからはおよそ下記のような反応が見られました。(※脚色なし)

●年齢的に母になっていても良かった。通常の怪我ならまだしも、予後不良になるなんて。。何とも残念。
確かにそうなんだけど、「残念」っていうほど国内的に価値ある繁殖にはならないよなあ。

●20年競馬やっていても慣れない。
「慣れない」っても毎週競馬場で起きてるアクシデントだよな。毎週慣れないままで20年競馬見られるのかしら?

●カノヤザクラが予後不良なんて……今知ったのですが、悲しすぎる。
「悲しすぎる」っていう表現も軽いなあ。本当に心から悲しくないだろ。
「今日部長が死んだ。悲しすぎる」とかつぶやく奴がいたら馬鹿にして喜んでると思う人は当然出てくる。

●ああ・・・合掌。
「ああ…」っていうなら今日他にも死んだ馬いるしなあ。

という訳でモクモクと違和感が生じたのです。

あくまで違和感です。
そこに「こんな思い入れがあってちょっとショックだよ」的なエピソードがあるのなら納得もできたのですが、待てど暮らせど競馬ファンの側から(あくまでごく一部ですが)そんな気持ちの入った言葉は出てこなかったのです。
だから違和感です。なんだこれは奇妙なイベントかと。
(あとから見直せば色々と心のこもった発言をする人達が本当に沢山いるんだな、と分かりましたが)

が、そこに「冷水浴びせんじゃねーよ」「めんどくせー」と絡んできた人がいた。
あげくに「単に逆張りしてカッコつけたいだけにしか思えないのだよなあ」とまで言ってきた。これではちょっと動かざるを得ない。
あくまで事の発端は「お前肩が当たっただろう謝れ」的な暴力レスポンスからなのです。
 


まず、殴りかかるのもよろしくないから、この違和感を説明することにした。

違和感を感じる理由
・不幸を嘆くなら今日もデビュー戦で心不全で死んだ馬がいるけど、それよりは幸福な最後でしょう?
・そもそもカノヤザクラは人々の人生に影響を与えるほどの名馬だったの?

この2つの疑問のあいだで「語るに落ち、黙するに及ばず」宙ぶらりんに位置するポジションの馬です。
ですから、
・その他大勢と一緒に聞き流すニュースとして捉えるか、
・本日の事故馬として不幸にして亡くなった馬が他に2頭いたという事を並列視して捉えるか、
どちらかであるべき、という個人的なスタンスを提示しました。

ところが、「知ってる=感情移入できる馬」だから「カノヤザクラだけ捉えるのが広く一般的である、理由はテレビで見て知ってるから」という、競馬ファンに罪はない、反省すべき点はないという見方も出てきました。

ならば「知ってる馬だけが馬なのか?知らない馬は馬ではないのか?」という疑問も出てきます。
その発想は「競走馬を単に博打のタネとしてしか見ていないドロドロオヤジ」とどれだけ違うのかと思えるのです。
よく分かりませんが、「あくまでそことは差があるんだ」というのがライトな競馬ファンだそうですが、私にとってその傲慢さは疑問です。

「カノヤザクラが死ぬなんて悲しすぎる」
「いやそんな事故は毎週起きてるよ」
 ※ここで、そりゃそうだけど奴ぁ頑張ったよ的な意見であればここから抜け出せる訳です
「カノヤザクラは特別なんだよ。そこらへんの馬と一緒にするなよ。」
「じゃあどれだけ特別なの?」
 ※ここで説得力のあるエピソードがあればここから抜け出せる訳です
「・・・テレビで見て知ってたから」
「知ってる馬の時だけ悲しい言ってればいいの?」
「・・・いいんだよ。俺達がそうやって楽しんでるのに、じゃあ競馬やるなってのか?」
という議論です。


ファンが馬を擬人化する、という寺山修司が提唱した特異な形態で日本の競馬は盛り上がってきたことは事実です。
それでファンが競馬に参加して莫大なお金が集まることで日本の競馬は成り立っています。そこに感謝すべきは競馬関係者の側です。
しかし「お客様だから」と無条件に言うがままを受け入れるのが本当に優れた店ではないのも事実です。
お客により深い楽しみ方や新しい視点を提示することで、お客を離さないこともまた大切なことではないかと思います。それを行うのは、より馬に近い立場にある人々になると思います。

そしてファンが擬人化して応援するのは馬券を買ったことがある、テレビで見て知ってる馬に限定されるというのが日本システムなのですが、全ての馬に訪れる死さえも価値や値打ちが違うというのはあまりにも悲しいことです。
せめて他にもこんな馬がいたと事実くらい語る事はしたいのですが、それは「分かってるけどどっちでもいい事」というのはギリギリ仕方がないとして、「冷水浴びせんな、黙ってろ」というのが競馬ファンルールらしい。これは何とも物悲しい事です。



JRAの収益が兆の単位で落ちたのは、その顧客の育成に失敗したからではないか、というのが私の自説です。
それはこの話題にも当てはまります。
非常にリスキーな話であり、個人の主観ですが、私は「そんなライト層にこびてまで競馬はへりくだる必要はない」と思っています。

一体ライト層が競馬ファンのどの程度を占めているのかは知りたいところですが、私の感覚では競馬は単純ギャンブル層がずっと主体であり、ライト層のみ飽きて抜け落ちているという認識です。

ドラマ性だともっともらしいことを言っても大して馬券を買うわけでもなく、グッズに全資金を投ずるわけでもないし、競馬をより深く知るのは面倒だという、もちろんクラブで一口馬を持つなんて事もしない、一番中途半端なところに収まりたがる層を「多様性」だとノープロブレムだと是認して良いものなのかどうか、個人的にはかなり迷っている部分です。

そのライト層が去ることよりも、馬という動物の特性を知り、存在の悲しさを胸に収めて、それでも感動できる人達を増やさなければ、競馬は飽きられる一方ではないのかという考えです。

それが競馬場のファンの7割なのが現実かも知れませんが、そうであるならむしろその無邪気なライト層の行動こそが「競馬をとても近寄りがたいものにしている」という現実が進行しているのではないかという危惧すらあります。
「俺達の知ってる馬じゃないから知りたくねー、どうなってようが関係ねー」という態度は外部から見て奇異に映らないのでしょうか?

確かに馬券という対価を払って競馬に参加しているのですから、何をどう食べようとお客の自由なのですが、だからと言って裏方のコックやレジ係を鼻であしらうような態度をするのも自由と認めてしまって良いものか?それが普通のマナーをわきまえた人達に見えるのでしょうか?

大手を振って通用している「無邪気な競馬の楽しみ方」に違和感を感じて距離を置く、常識的で「競馬の枠外」に位置する一般人が実は相当数いるのではないかと思うのです。

娯楽の王道だった乗り物ですら、クルマ離れ、バイク離れの時代なのです。
決して総マニア化を要求するものではありません。お店と顧客が良好な関係を築けるような最低限のコンセンサスが実現した環境は競馬では実現できないのでしょうか。


ライトな競馬ファンの難点はもうひとつあります。
カノヤザクラでもいいから感動したり悲しんだり、盛り上がった気分を手っ取り早く味わいたいという気持ちが完全にゼロだと言えるでしょうか。
自分が適度に関心を持つために、感動をぶつける対象として、カノヤザクラというちょっと知っている馬の悲劇を殊更大きく広げて話題にする、そういう意図も感じています。
(私は「冷水浴びせる」なんて言葉が競馬ファンから出てくるとはびっくりしました。アツくなってる証拠じゃないかと。)

それは妄想だ、ファンを馬鹿にしているぞと思われるでしょうが、でなければ「予後不良なんて…悲しすぎる。」というような、真面目なのかふざけているのか分かりにくい発言がポンと出てくるのは理解できないのです。

「合掌。」「合掌。」「あ、俺も知ってたから合掌」といった軽い気持ちの連鎖は競馬ファンの正当な反応なのかというのは疑問です。
ツイッターというツールの独特の弱点なのかも知れませんが、集団で盛り上がりたいから参加するといった競馬ファン特有の感覚を感じました。
それはファンファーレ手拍子と同様に「競馬ファンなら悲しいでしょ当然でしょ」みたいな脅迫感を感じます。
(※ちなみに私はガキの頃から一度もファンファーレ手拍子をしたことがありません。レース前に馬にプレッシャーを与えることをして何の得もないし、直線で力一杯叫ぶのが正しい盛り上がり方だと思っているからです。)

そして私のような人間が「それはちょっと」「悲しいことは他にも起きた」「大して興味もない(思い出もない)のに大騒ぎするなって」という意味で発言すると「こいつめんどくせーよ」「ファンの気持ちを見下してる」と烈火の如く反応する。

おちゃらけて死を扱うくらいなら(ナーバスになっている関係者サイドを思えばそういう表現になる)、いっそ黙祷にしてくれと思うのはわがままになるのでしょうか。
それもファンの(一種の)楽しみを取ることになるんだから反論したり、疑問を呈したりする事もタブーなんだ、というのは納得しづらいものがあります。

「何言ってんの?、競馬ファンなら盛り上がるところでしょ当然でしょ」
何言ってんの?、競馬ファンなら悲しいでしょ当然でしょ」
こういう論調は本当に競馬を愛しているがゆえの思想でしょうか。私には自己愛にしか見えません。

なぜなら、こう言われて「まあそうなんだけどさ。でも僕は、、、」と落ち着いて議論ができないタイプの人々だからです。
馬がレース中に死ぬのはやはり起きてしまう事、珍しくもないし、特別でもない、それは全ての馬に共通する現実です。
この事実を客観的に認知できず、なぜか自己否定されたと思い込んでいる人だけがやっきになるのです。
彼らは多様な考えを認めない。「俺の自由だろ」の一言で。
そこに残ったのは競馬に対する愛情ではないと私は思います。


後から調べてみたら、私に最初から殴りかかってきた人物は

しかし1200以下専門の、大して知ってるわけでもない馬の死でここまで自分が熱くなるとはw
マイル以上走れない馬には個人的にはそこまで魅力感じないし
やっぱりクラシック馬の1200挑戦が一番燃える

まあ個人的にはカヤノザクラ知らないから、「重賞勝った牝馬が死んじゃって生産者大変だな」ぐらいにしか思わなかったのだけど

重賞の常連の馬には親しみがあるから、亡くなった時に悲しいと思うファンがいるのは当然だと思うがな
むしろなんの思い入れの持ちようもない馬の生死まで気に出来るなんて人生に余裕があるんだなあと

つか、未勝利馬の死だって馬券買って実際に見てたら可哀そうだとは思う
だけどほんとに悲しむためには相手を知ってないと無理なのに情報がないんだから仕方ないだろうよ


という独白をしている人物であります。
こちらの説明を「分からない」「説明から逃げてる」「答えになってない」と繰り返し、はてどうしたものかと考えていると次々と人格攻撃の罵声を浴びせてくる。
こういう事をベラベラと喋る人間のために競馬があるのか、という疑問はあります。

もう少し踏み込むと、「ふざけるな」という憤りを感じずにやり過ごせというのもどうかと思うのです。
そこで多少そういう感情を散りばめた反論を加えたのですが、結論としては「競馬ファンはそういう軽薄なものだから黙って従え」という残念な結果になりました。
(やっぱり最初からブチ切れて、誰が逆張りじゃコラ、適当な事ペラペラしゃべって謝れコラ、と怒れば良かったのかなという気もしています。いつでも議論すれば解決できるという事でもなさそうです。)


それでも、果たしてそれで高いモチベーションを持って馬を扱う人は増えるのだろうか、という疑問は残ります。
もう一歩踏み込むとそんな環境で馬を持ちたいと願う富裕層は増えるのだろうかという疑問があります。
なんだかんだで適当なところで折り合っているのでしょうが、ごく一部の礼を知らずわがままでナイーブな人々のせいで競馬ファン全体が常に見下される構図の環境がそのままで、本当にみんなハッピーなのかな、という疑念が残ります。
気ままで無邪気なライト層こそが我らのお客様として手厚くお迎えするのが日本競馬の強みや美しさになるのでしょうか?
馬がいてよかった、馬を持ててよかった、馬を応援してよかった、とお互いが実感できる環境は日本の競馬では不要なのでしょうか?

そこを変える一つが、ファンがより高い見識で競馬場に集うという事だと思っています。(これは他のスポーツでも共通することのはず)
それが難しいのであれば、せめてファンが「おもちゃにしていい部分」と、「してはいけない部分」の線引きは必要だろうと思います。
ファンにその意図がないのだとすれば、「合掌」の連鎖ゲームや「悲しすぐる」的な発言とはレベルの違う発言をするよう配慮すべきだと思うのですがいかがでしょうか。
それは競馬ファンにとって我慢できないほど居心地の悪い要求なのでしょうか?

何度も色んな発言を読み返しましたが、ラジオNIKKEIの佐藤泉アナの発言が一番心に染み入りました。
事実の羅列ではあるが、無念さ、悲しさが滲みでている。やっぱり色んな部分に心が行き届いていると感じる一文です。

カノヤザクラが死んだ。左前脚の脱臼。予後不良。アイビスサマーダッシュのゴール後騎手がすぐ降りていた。

JUGEMテーマ:競馬
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2011.10.02 Sunday 10:35
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コメント(対話する姿勢のある方優先。)

コラムいつも楽しみにさせていただいております。
恐らく、対価もない文章を書くためのモチベーション維持は大変なこととは思いますが、貴重なアイディアを拝見する場をこれからもよろしくお願いいたします。
さて、本文とあまり関係はないかと思いますが、あらゆる公営ギャンブルの運営が行き詰まりを見せる中、それでも中央競馬はそれなりに結果を残しています。 ただ、私も汚い格好したオッサンばかりになったなと競馬場で感じ、その行く末を案じておりました。 しかし、明らかにディープインパクト、ウォッカの登場以降競馬場に若い人の姿が増えました(明らかに未成年や学生もみかけます)。 もちろん、彼らこそ「にわかのライト」競馬ファンです。 漏れ聞く会話からは失笑したくなったり不愉快な思いを抱くこともありますが、かつての自分を思い出すようなこともあります、
何が言いたいかと申しますと、山のふもとが巨大でなければ高い山にならない、ということです。
ゆっても日本の競馬が素晴らしいコンテンツであることはありがたいことです。 主催者や関係者が必ずしも懸命なファンの方を向いていると言えない面もあると思います。
すいません。 気の効いたこと言えなくて。
お互いいい競馬が見れるようがんばっていきましょう。
| R | 2010/08/10 11:16 PM |
同じ「悲しすぐる」という文字を打った人にもいろいろ考えがあるんじゃないかと、思ったりするのです。

たとえば、この記事にあるような、ちょっとアレな競馬ファンである場合。

たとえば、カノヤザクラに対していろいろな想いを持っていて、悲しくて、本当に悲しくて、

本当はそれを長々と語りたい、誰かに聞いてほしい、うんうんとうなずいてほしい、

けれど、それをやったらうっとうしがられるかも?というか自分以外の誰かがもしそれやってたのを自分がみたらうっとうしいかも?軽くヒクかも?って何これ?はずかしいしこれ。ないわー、やっぱこれはないわー。。。


からの、「悲しすぐる」────


「悲しすぐる」というたった五文字に、込められた想いをすべて把握するのは難しいです。

だから「悲しすぐる」的な表現がよろしくない、とは一概には言えないような気がする今日この頃です。



ただ、記事内の人格否定マンや強制合掌隊みたいな人たちが、競馬ファンが見下される一因であることは、おそらく事実です。悲しいことです。

| サラリーマンネオ | 2010/07/26 5:28 AM |
最後の管理人さんのコメントを見て、もう一度文章を読み直して、やっと本意がわかった。
残念という言葉の重みが、管理人さんはより重いんですね。ライト層?が今回の件で悲しむレベルの悲しみは、未勝利馬の死でもしてるということですね。

アイビスSDの三冠をかけて死んでしまったカヤノザクラの思い出に浸ろう(←この言い回しはきっと管理人さんから見たら非常に軽いかもしれないが、追悼番組を見る気持ちだと思う)と検索してるところに、カヤノザクラはそこまでの馬だったか、というセンセーショナルなブログを見てしまうので、真意を深く読まないうちに反撃のコメントをしてしまうのかも(一部のただいちゃもんつけたいだけの人?は別)
| | 2010/07/23 10:27 PM |
> Zephyran

>みなみさんはむしろ、全ての事故に遭った馬に対して等しく「残念」と思っている様に感じるのですけど?

その通りです。
それは馬を世話している人だけが感じる特殊な感情ではないはずです。
競馬場に集う競馬ファンでも当然のように感じる感情ですし、そうあってほしいというのが私の希望です。(強制ではありませんが)

ただ競馬の歴史では本当に成功が約束された、人間で言えばジェームス・ディーンのような馬もいるのです。
そういう馬については特別な意味を込めて残念だという感情を持つ事はあります。
その特別視についての定義は人それぞれでしょうが、あえてそうするのであれば、個々人の理由付けが必要じゃないか、と私は思います。
形骸化を防ぐ意味で「エピソード」を語る必要があると私は思っています。
| 南 元彦 | 2010/07/23 9:43 AM |
競馬を大して知っている訳でも無い自分が、今までの流れを見てきた印象を。

みなみさん自身、カヤノザクラの事故が「悲しくない」と言う訳では無い物の、こう言った事故は競馬では日常茶飯事の決して珍しく無い事。

そこで「残念」と言う人達は何か特別な思い入れが有るのかと思えば、名前を知っていたと言う程度。

更には最初に突っかかって来た人物は、カヤノザクラに思い入れが有る訳でも無く、単に言い掛かりを付けたいだけの思惑が合った様だと・・・

みなみさんはむしろ、全ての事故に遭った馬に対して等しく「残念」と思っている様に感じるのですけど?
| Zephyran | 2010/07/23 2:34 AM |
> 2010/07/22 10:35 PM
>知ってる知らない(自分にとって身内であるウチかよそ者のソトか)で悲しみが違うのは、人間が存続する上で獲得してきた心理

そのフレームを使った考え方はなかなか分かりやすいですね。

ただ私は「カノヤザクラであるか、それより知名度のない馬であるか」で差をつける事はできない、という事です。
それは私が馬産地にいるからという事情は関係なく、競馬というものに触れ始めた子供の頃から変わらぬものです。
| 南 元彦 | 2010/07/22 11:58 PM |
人間にしても動物にしても、知ってる知らない(自分にとって身内であるウチかよそ者のソトか)で悲しみが違うのは、人間が存続する上で獲得してきた心理だと思う。
鶏肉は食べるけど、ペットのインコが死んだら泣きます。
人間は生き物の命をもらって食べないと生きていけない仕組み。しかし自分の子孫は残すため守る。
ソトの者は食べるために殺し(死んでも悲しまない)、ウチは守る(死ねば悲しむ)。
カノヤザクラをソトと思うかウチと思うかは人それぞれでしょう。
私はカノヤザクラの死は悲しみました。それは自然な感情で理論じゃない。
| | 2010/07/22 10:35 PM |
IP:210.159.167.219
DSLax219.yamanashi-ip.dti.ne.jp

柔軟性とは何か、意味が分かっていないようだ。

あなたは機械的な脳みそになってしまう育てられ方をしたのでしょう。
| 南 元彦 | 2010/07/21 8:41 PM |
あなたは怖い人ですね。
物事をすべて決め付けてしまう、柔軟性に欠けた思考。
どういう育てられ方をしたら、機械的な脳みそになってしまうのですか?
| | 2010/07/21 7:01 PM |
IP: 222.5.63.147 DION (KDDI
単に内容を読み取れなかっただけなのにクレームをつければ上に立ったつもりになれるというのも甘えですね。
考えさせられたという人は何人もいらっしゃいます。

>知っている奴と知らない奴が死んだら悲しみは違う。

別ブログにてコメントしましたが、
「とあるロック歌手が死んだ、合掌」「俺も知ってる、〇〇合掌」という展開で「のんきな話だ、俺は今日祖父が死んでそれどころじゃない」という人が出てきたパターン。

そこで「それは大変ですね」というコミュニティになるか、「おめーのシジイなんか知らねーって。〇〇に比べたらどうでもいいんだけど」と煽りだすのか、そういう差です。
要はそこにヒューマニズムが存在するのか、全員に同じ意思表示を強制する集団ヒステリーが存在するのか。
| 南 元彦 | 2010/07/21 1:26 PM |
> ふうじん
コメントありがとうございます。

私はまだまだ古くからの競馬ファンと言うほどではありませんが、パドックで午後出勤の田原騎手に「タバラ〜おはようさん、重役出勤やのぅ」「おう」とやりとりする昔の鉄火場的な良さも好感を抱きますし、例えばオグリコールやナカノコールも感動するタイプです。
ただそれを知ってしまうと、今はそこまで感動の状況がなくともそれを模倣する「お約束」の風潮に興冷めしているのも事実です。

日本の競馬は膨大な数のファンの存在を無視はできないのですが、実際のところは「枠外に隔離しつつも、参加している絶妙の錯覚の提供」で成立している印象を持っています。
その根拠は馬主席と一般席の圧倒的な格差や、ファンと交流する関係者というのはそれだけで異質に扱われる事など。
そういう一種の隔離政策でも変わらぬ支持を続けるファンの中には私の長年の友人や先輩達も含まれるので、少し思うところもあるのです。

今年改装オープンした函館競馬場はまだ行ってないのですが、あれは競馬とファンの関係性を変えようという「主催者側の意思」を建物で表現した新しい試みだと思うので、かなり興味を持っています。


先日のワールドカップで「日本代表感動を有難う」と言って熱狂したのは、純粋なサッカーファンというよりお祭り騒ぎしたいだけの人達が多いようです。
テレビで実地調査したら7割8割が選手名も分かっていないし、ルールも分かっていない、そういう人の集団です。

阪神ファンが「藤川球児はなぜ最初から投げないのか?」と質問をするのは有り得ない事を考えれば、サッカーの騒ぎはまだまだ幼い。
代表ファンは阪神ファン程には到底追いついていないし、追いつくことを願うのは傲慢な心理なのでしょうか?
それを競馬に求めることは特権意識なのでしょうか?

(南アに現地観戦に行った一部の人達が感謝の印として「岡ちゃんの銅像を建てる運動」をしているのは知っていますが、そういう茶目っ気から真面目に行動してしまうノリは個人的に好感を抱きます。)


騒ぎは新しい客を呼び込むのだから歓迎せよ、というプロモーター的視点からの考え方もありますが、そこまで影響力があるわけでもなく、Jリーグでのバス囲みほどの覚悟や熱意もない。
賭けは自由社会でごく普通の行為なのですから、馬券だけで満足せず、また別の新しい楽しみ方を発明し表現する動きがあってもいいのにな、という気持ちも少しあります。

馬が好きという素直な自己表現や、グループでの表現が苦手な人々が寄り添って真面目な態度を取る事で一定のバランスが発生しているような感覚もあります。
そこに安寧を求める層だから、ふとしたことで過敏に反応するのかも知れません。
| 南 元彦 | 2010/07/21 1:10 PM |
知っている奴と知らない奴が死んだら悲しみは違う。
中身の無い長文で自己陶酔ご苦労様。
| | 2010/07/21 12:43 PM |
IP: 210.136.161.174
NTTドコモ経由での書き込み、スパムと判断し削除
| 南 元彦 | 2010/07/21 9:28 AM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2010/07/21 2:15 AM |
古くからの競馬ファンとしては、何となく頷ける点がありますねぇ。

その違和感は、サッカー日本代表がベスト16で敗退して帰ってきたときに、「感動を有難う」と言って歓迎するライト層と同軌かと。
| ふうじん | 2010/07/20 10:21 PM |
「お馬さん」という物言いの人間もほとんど信用ならない。

ワンワン、猫ちゃん、うちのぼっちゃまと同じく自己愛の強い人間。
会話する時に「ウチのワンワンがねえ、」などと一般社会人が言わないでしょう、そういう事です。
| 南 元彦 | 2010/07/20 8:35 AM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2010/07/20 6:25 AM |
以下、主だった皆様からいただいたご感想。

・感情に正しいも間違いもないと思うのだけど。
・特定距離のエキスパートとして長年居座る馬は「不平等に」愛されやすいかな
・貴重な指摘をいただいたなと思います。
・いろいろ考えさせられることもあり、勉強になりました。

ハンパものに対して、温かい言葉をいただき恐縮至極です。
| 南 元彦 | 2010/07/20 1:45 AM |
結論。
来訪者は何も謝ることができない人間でした。
| 南 元彦 | 2010/07/20 1:09 AM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2010/07/20 1:02 AM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2010/07/20 12:59 AM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2010/07/20 12:54 AM |
【以後、謝罪と議論をする場合のみ、書き込みを許可する】

しつこい。言い訳がましい。

議論をするつもりはないと宣言しちゃってまあ。
ぼくはここにらくがきをします、書いてあるだけだな。

>無名馬の死について、それこそ自己愛の発露と受け取れるような同情ではなく、ホントに悲しむのは難しいね、と正直な気持ちを書いたつもりだったのだけど、

ふむ。それがこれか?
>なんの思い入れの持ちようもない馬の生死まで気に出来るなんて人生に余裕があるんだなあと

謝罪が必要かと?当然だろう。
関係者含め、どうでもいい馬も気づかうなんてお前らヒマな人(人生に余裕がある)とのたまって、愛国無罪で許されると思ってるの?
| 南 元彦 | 2010/07/20 12:44 AM |
厄介な事態というのも分かってないね。
焦って詮索しても時間の無駄。

トラブルの解決は何を持ってもまず「ごめんなさい」だよ。
そんな事もできずにあんたホントに仕事してるの?
幼稚園で教えてもらったら?ようちえんで。


まあ大人の場合、言えばいいというものでもないがね。
| 南 元彦 | 2010/07/20 12:42 AM |
>ここに引っかかってたわけですか。

結局謝罪はできないという事ね。
グチグチと男らしくない人間だね。
| 南 元彦 | 2010/07/20 12:38 AM |
>あなたが話をズラしてそもそも論を言い出し

物事には順序があるというのが分からなかったんだな。

| 南 元彦 | 2010/07/20 12:35 AM |
>同一重賞三連覇のチャンスがあったぐらいだから現役では有名馬でしょ?俺にとってのグラスワンダーあたりと同様の思い入れをしてる人がいたとしても不思議じゃないんじゃない?

>私に指摘されて結局訂正されましたよね?

キチガイみたいに騒ぐから黙らせる以上の意図はなかったが、客観的に見て、引き合いに出す例を間違えて誤解を招いただけじゃないか。
| 南 元彦 | 2010/07/20 12:33 AM |
誤字
競争馬⇒競走馬

誤字くらいは訂正して謝れるのかな?
| 南 元彦 | 2010/07/20 12:11 AM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2010/07/19 10:54 PM |
私の意見を誤読だ改ざんだ話題逸らしだ態度がでかいと一切受容しなかった人間がどれだけ正直になれるかと思えば、やはりその程度なのですよ。
誤読に改ざんに話題逸らしのオンパレードにしか見えませんね。

言い訳も弁解も説明も何一つ通用しない。どれだけやっかいな事態になっているのか。
議論で一旦そういう構図を作ってしまうと修正するのが大変難しいということも知っておくべきです。
| 南 元彦 | 2010/07/19 9:13 PM |
これらは全て謝罪対象。
私に謝罪する必要はないけれども、これで「カノヤザクラについて書いている人たち」「それ以外の馬に対して特別な感情を持つ数多くの関係者」の心を逆なでしているのは分かるでしょう。
私があなたの心象を意図なく害したと同様に、(めちゃくちゃ大目に見て)あなたは意図がなかったにせよ、他人が腹を立てるに十分な失礼な発言を繰り返した。
しかしそれが競馬ファンの自由であると主張するのであればそれはそれで結構。

>しかし1200以下専門の、大して知ってるわけでもない馬の死でここまで自分が熱くなるとはw
>マイル以上走れない馬には個人的にはそこまで魅力感じないし
>やっぱりクラシック馬の1200挑戦が一番燃える

>まあ個人的にはカヤノザクラ知らないから、「重賞勝った牝馬が死んじゃって生産者大変だな」ぐらいにしか思わなかったのだけど

>重賞の常連の馬には親しみがあるから、亡くなった時に悲しいと思うファンがいるのは当然だと思うがな
>むしろなんの思い入れの持ちようもない馬の生死まで気に出来るなんて人生に余裕があるんだなあと

>つか、未勝利馬の死だって馬券買って実際に見てたら可哀そうだとは思う
>だけどほんとに悲しむためには相手を知ってないと無理なのに情報がないんだから仕方ないだろうよ
| 南 元彦 | 2010/07/19 9:08 PM |
>あなたが違和感を持つのは自由だけど、悲しんでいる人に対してわざわざ違和感を表明しなくてもいいんじゃないの?と言っただけのつもりだったのですが、殴りかかったと受け取られてしまったのは残念です

これで謝ったつもり?
何を要求してるの?この態度で。
| 南 元彦 | 2010/07/19 8:59 PM |
>みなあなたの言うように「優しい自分のアピール」のために悲しんでいるとも思えない

そうです。
それをあなたが勝手に曲解し、延々まとわりついた事については謝罪はしないのですね?

>あなたの物言いにひっかかってそう書いただけなのですけどね

あなたは物言いにひっかかった相手に「単に逆張りしてカッコつけたいだけにしか思えないのだよなあ」とケラケラ笑っていたことについては謝罪の意思なしということですか?
| 南 元彦 | 2010/07/19 8:57 PM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2010/07/19 8:01 PM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2010/07/19 7:47 PM |

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[競馬雑記]競馬ファンよ、死を想え(ただし貴方なりに)。

▼イグレット軽種馬フォスターペアレントの会・会員のSouthendです、こんばんは(挨拶)。 カノヤザクラはそこまでの馬だったのか | Nereide Design Blog まずこの一件が発生したときにツイッターで私がチェックしているアカウントからはおよそ下記のような反応が見られ
| 傍観罪で終身刑 | 2010/07/20 12:39 AM |